カニバリズムへの傾倒。

まったくいつもタイミングが悪いと苦笑するしかないな。もちろんタイミングだけの所為ではなく,僕自身のお寒さに起因するところが多いのだが。
もはや自分の感情の正体を掴むことさえも難しい。


ひとつの恋愛が終わったら(何を以って終わったとするかを定義づけるのも難しいのだが),「もう恋愛とか面倒だし どうでもいいや」みたいな ある種厭世的な考え方になる場合が多い。これは恋愛が非常にパワーを消費する活動であり,一度注ぎ込んでしまったパワーを再充電するのには時間が掛かるからであろう。そう思う。
もちろん全ての人がコレに当て嵌まる訳ではないのだが。極めてコストパフォーマンスよく恋愛を繰り返す人もいるし,逆に他者を好きになる事によって充電を図る人もいる。恋愛対象たる異性(場合によっては同性)に依存する人も少なからず存在する。まぁ人それぞれであろう。


恋というモノは極めて純粋な感情である。
よく『恋の病』などという言葉を耳にするが,純粋な感情である恋が 病を引き起こそう筈がない。何かしらの責任を 恋に転嫁しているのだ。
『恋の病』と呼ばれるモノは大抵・・・今後の人間関係の打算であったり,或いは倫理観であったり,或いは法律であったり,或いは経済的事情であったり,或いは不可抗力であったり・・・。
つまりソレらは恋に内包されるモノではなく,すべて外的要因なのだ。(『病』を排除すべきモノとして考えるのなら)敵は『世間様』なのである。
しかしながら世間様とは云っても 結局のところは「『世間様からの目』に対して自らがどうあるべきか」なのだ。問題は自らの心の裡に,である。


他者を(精神的・肉体的に)傷つけた理由に恋愛感情を持ち出されても,『恋』にとっては甚だ迷惑な言いがかりであろう。「誰も傷つかない恋なんてない」なんて論法は,自己弁護以外の何物でもない。


新明解国語辞典(第4版)によると,『恋愛とは 出来るなら合体したい』ことらしい。これは尖った(と云うより偏った)意見であるとは思うのだが,真実の一面を指しているとは思う。
例えば何かにつけて「あー彼女ほしー」なんて言う男はよくいる(女性でもいるのだが,これまでの僕の知り合いの中では,このテの発言をするのは圧倒的に男である)。まず恋愛対象がいて その相手を求めるのではなく,いきなり彼女という結果を求めている。つまり恋愛という概念を置き去りにして 対象のみを求めており,この場合はただの性欲である可能性が高い。
しかしこんな場合もある。恋愛対象がいないまま「あー彼女ほしー」と言うのは先の例と同じなのだが,彼女という結果ではなく,恋愛という過程を求めているのである。


これらの感情の正体として,例えば僕は・・・あ,忘れてた。こんにちは,ゆかしです。